プロフィール

神楽とは

 その昔、スサノオノミコトの乱行により岩戸に籠ったアマテラスを慰めるため、岩戸の前でアメノウヅメが舞ったものが、現在の神楽の起源であるといわれます。

 日本の古典芸能として、また神事として各地に存在している神楽ですが、その中でも島根県東部を中心に継承されているのが「出雲神楽」です。古くから舞われてきたこの神楽は、慶長年間に松江市鹿島町にある「佐太神社」の幣主祝が京都で能の仕草を習い帰り舞い始めた「佐陀神能」に影響を受けて変化し、現在の形が作り上げられたとされています。この神楽は「出雲流神楽」と学術的には呼ばれており、近隣の石見神楽や広島神楽、備中神楽等にも深い影響を与えたといわれております。

 「出雲神楽」の大きな特徴として、神事性が高い儀式舞である「七座」、祝儀の舞である「式三番」、着面の神話劇である「神能(能舞、神楽能)」の3部に整然とわかれていることが挙げられます。

 

(写真:青山純二様提供)

西日登神楽社中について

 西日登神楽社中は、古老の伝えるところでは文久元年、記録に見えるところでは明治2年に、西日登地区の大島和市氏ら有志が地元の神官・玉木左近氏より神楽舞を習得し、「西神楽」と称して発足しました。

 盛んに活動を展開していたものの、昭和10年頃から終戦まで戦争の為にその活動を休止します。しかし戦後、安部顕介氏らの働きかけにより昭和21年には再び活動を再開しました。

 昭和28年5月に出雲大社「昭和の大遷宮」が行われ神楽奉納を行った際、千家宮司より「出雲大社教神代神楽師」の称号及び感謝状を賜り、これにより「出雲大社教神代神楽 日登社中」とその名を改めました。以来出雲大社には毎年5月の連休には欠かさず奉納神楽を行っております。

 出雲大社のみならず、靖国神社、金比羅宮など各地の神社での奉納神楽も行ったほか、東京や大阪、広島など都市での公演も行い、また平成10年には木次町の町民劇「ひと花の吹雪」にも出演し公演を行いました。

 平成26年に社中名を「出雲大社教神代神楽 西日登神楽社中」とし、現在は下は20代、上は90代の幅広い年代が技術の研さんに日々励んで居るところです。

 ヤマタノオロチ伝説をはじめとして神話の本場である出雲の地で神楽を舞えることを誇りに思い、伝統的な出雲神楽の舞ぶりを大切にしながらも、演目終盤には激しい舞や奏楽を展開し、皆様に盛り上がっていただける出雲神楽を目指しております。

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団体名:出雲大社教神代神楽 西日登神楽社中(いずもたいしゃきょうかみよかぐら にしひのぼりかぐらしゃちゅう)

 

所在地:島根県雲南市木次町西日登990-1(西日登交流センター内)

 

文化財指定等:出雲大社教神代神楽師(昭和28年)、木次町指定無形民俗文化財(昭和54年)、雲南市指定無形民俗文化財(平成16年)

 

団員数:11

 

保持演目:七座:「清目」「陰陽」「奉幣」「茣蓙」「手草」「八ッ花」 能舞:「香具山」「五行」「国譲」「茅の輪」「恵美須」「国造」「日本武」「簸乃川大蛇退治」「三韓」「天神記」「畝火山」「切目」「経津主」「田村」「日之御碕」